salon de émo.

元ボーダー女子流、感情(emotion)との上手な付き合い方。

アウトローな異端児として学生時代を過ごしたけど人生に何の悪影響もなかった

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ポジティブレゲエバイブス女子えりりーです。
 
私が毎日学校へ行っていたのは小学校5年生の途中まででした。
 
不登校となった私の高校受験は内申点「74点」で行きたかった公立高校はサクッと落ち、定時制の私立高校は親に否定され、適当に親の機嫌取りに特待で進学するも即中退。
 
その後、2度高校に入るが無事卒業することはなく。
 
気付けば高校中退歴3回の最終学歴は高校中退(24歳時)。
 
最初からレールに乗ることすらせず、やれ不登校やれ中退とひたすらアウトローとして生きてきた私ですが。
 
ロクに学校へ行かなかったことで困っていることは特にありません

 

小学4年生までは周りと同じように学校生活を送っていた

小学4年生くらいまでは普通に友達と仲良く遊ぶ活発な女の子でした。
 
休み時間は走って校庭へ出てクラスのみんなでボール遊びやリレーをしたり、一輪車や竹馬で遊んだり。
 
 
この頃から少し変わっていたのは、「わるい・ふつう・よい」といった3段階評価の通知表がはずっと全ての科目が「よい」評価でテストは90点を下った記憶がほぼ無い学年一の秀才。
 
運動も小学4年生という男女の身体差が出てくる年頃でも、徒競走で足の早い男子に勝つほどの身体能力の高さだったということ。
 
 しかし
  • 小学5年生になって家庭の問題が悪化
  • 思春期による身体の成長で胸がかなり大きくなってしまい運動が上手く出来ないように
 
といったことが重なってか、気付いた頃にはなぜか休み時間も教室移動のときもずっと本を読むような過ごし方をしていました。
 
 
ずっと本を読んでる私に友達が話しかけにきてくれても本を読みながら片手間で聞いてるような、なんともスカしたやつだった。
(友達が離れていかなかった理由はわかりませんが、とにかく感謝です。)
 
 
群れることが嫌いって考えたり一匹狼がかっこいいとか考えたことは一切ないけど、とにかくグループに属することをしなかった。
 
ひとりで過ごすことを全く居心地悪く感じたことは無かったです。
 

同級生にまるで興味がなかった

境界性パーソナリティ障害を発症するきっかけとなった事件が家庭内で起こったことから、別に学校で嫌なことがあるわけでも無かったのですが
 
「学校行きたくない…朝起きるのつらい…」
 
と毎朝感じるようになり、学校を休みがちに。
 
 
 
小学校6年生から中学校2年生の間に2/3の登校、1/3の登校とジワジワ不登校への道のりを辿りました。
 
 
しかし不登校になっても学校に馴染めないと意識したことはなく、自分が浮いてると感じたことがありませんでした
 
 
たまに学校へ行くときも周りの目は一切気にならず苦痛を感じなかった。
 
 
 
中学校2年生のころは前略プロフとガラケーでホムペを作ることが流行っていて。
 
 
音楽が好きだった私は高校生がやってるバンドのホームページへと辿り着き、ライブハウスへ遊びに行くことを覚えました。(ライブハウスは大人になるまで私の生活に隣接することに。)
 
 
そんな風に私には学校以外の世界があって、外で自分の居場所を作って楽しくやってたので学校に居場所を求める気持ちはありませんでした
 
 
元々の性格から小中学生らしい価値観なんて持ち合わせたことがなかったし、常に浮いてましたが
 
 
しかし当の本人は浮いてることなんて全く気付かないほど同級生に興味がなく
 
同級生が好きなものを知らなかったし、学校内で誰かを好きになったこともなかったし、同級生同士で付き合っている子を見ても、あんな子供のどこがいいんだろうと真剣に頭を抱えてました。
 
 
今になって当時を思い返してみると、当時の私は学校に来てない間に何処でなにをしているのか一切想像がつかなければ、話してることも学校に居ない人のこと。
 
よくライブとかコンサートいってるし、会話に入ってこないし、掴みどころがまるでない異質な存在でした。
 

いじめも学級崩壊も経験したけど「どうして」とは一度も感じなかった

当然という訳ではありませんが、いじめの対象になったことはあります

 
でも「どうして」って考えたりすることもなく、まともに相手にしてませんでした
 
 
同級生の名前もちゃんと把握してなかったし、顔と名前が一致することも珍しかった。
 
 
いじめられても相手にしてない存在からいきなり喧嘩をふっかけられてると感じたし、正面から迎え撃つことしかしてませんでした。
 
 
子供相手で勝てる自信しかなかったんですよね。
同級生ってとにかく子供で幼稚な存在でしかなかった。
 
 
中学では吹奏楽部に所属していて、部活内で部長となった子が腰巾着を従えて順番に部員をいじめてた時期があったんですが、私の番もちゃんと回ってきました。
 
 
「で?」って態度で相手にしなかったら「なんなんムカつく…!!」と尻尾を巻いて帰っていって特に腹も立たなかったのですが。
 
 
部活に未練もこだわりもなかったので面倒くささから翌日サクッと退部しました。
 
 
 
あとは中学2年生のときにクラスのやんちゃしたい盛の男の子に、私が特異な存在でいた為にいじめの標的にされたことがあって。
 
 
担任の受け持つ授業中に私のサブバッグに刺さっていたドラムスティックを盗ったり、私のベルトをわざとひっぱったりとちょっかいをかけられたことがありました。
 
 
でもその姿を、担任は止めることなく黙ってみていたんですよね。
 
 
「あー、カスだな。」と思った私はその日はそのまま帰ったのですが、翌日登校して職員室で担任に「あなたが担任だから学級崩壊が起こっている10の理由」を淡々と伝えた結果泣かれました。
 
 
いじめをする同級生は子供に感じていたので、怒りは教師としての仕事をしない呆れた担任に向いていたんですよね。
 
 
たくさんの先生が職員室に居たが誰も私を止めなければ、担任をかばうことも一切しなかったのはスッキリしました。
 
 
 
そんな風に常に私は自分が間違っていない自信があったし、誰にも負けない頭を持っている自負があったんです。
 
ハッキリ言えば見下してました。
 
 
だから同級生の目線も気にならなければ、相手にしてない人間たちとのコミュニケーションの重要性も見出だせず。
 
無理に仲良くなろうとする気持ちもなかったです。
 

学校生活をまともに送ってこなかった影響は何もなかった

確かに拗らせていると言ってしまえばそれまででしょう。
 
 
しかしそんな不登校生活を送ったことは
 
今の私の性格と人生に何も影響していない
 
と断言できます。
 
 
人付き合いは特別苦手になっていないし、仲のいい友達もいる。
 
大学まで進学して…といった世間でいう普通な人生を歩んでいる人より、知り合いはかなり多く幅も広い。
 
恋人がほしいと悩んだことがなければ、人並みにお付き合いもしてきた。
 
色んなバイトをしたし、会社だって何社も転職してきたけど、馴染めないからといった理由は一切なかった。
 
学業をまともに頑張ってないけど、周りからは基本的に頭がいいという評価を受けている。
 
 
あえて言えば学校のような生ぬるい職場環境、能力の高い人間と低い人間が同じ給料で働いてる職場っていうのが許せないところは、学校での生活をロクに経験しなかった影響があるのかもしれません。
 
 
でも生ぬるい環境も能力を評価されない環境もメリットなんてないから願い下げなわけで、べつにそんなところに馴染めない自分を悲観する気持ちは一切ないです。
 
 
むしろ集団の中でみんなと同じことをすることを違和感と感じる感性を持ててよかったと思っています。
 
 
そしてなによりも、合わないところで無理に居場所を作ろうとして消耗しなかった自分を褒めたい
 
 
そこそこ波乱万丈な人生を送っていますが、私が抱える悩みの原因はほとんどが生まれ育った家庭環境にあるため学校生活がまともでなかった事は一切悩みの原因となっていません。
 
 
不登校になっていなかったら、フリーランスカメラマンにもなれなかったですからね。
 
 
 
 
これは飽くまでも私の人生においての話ですし、あなたの人生に責任をもつことは出来ません。
 
 
不登校になる理由も人それぞれ。
 
 
私はたまたま家庭環境から来る精神疾患が原因となりましたが、学校に行きたくない原因が存在していることも多くあります。
 
 
しかしどんな場合でも、学校に馴染めないこと、年相応の価値観を持ってないことを悩んでいるあなたが、私の経験を読んで少しでも自分に自信を持ってくれたら幸いです。
 
 
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