salon de émo.

元ボーダー女子流、感情(emotion)との上手な付き合い方。

友人が死んでうつ病になった私が仕事をやめてから復活するまでにしたこと

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ポジティブレゲエバイブス女子えりりーです。
 
私は今から4年前に大切な友人を事故で亡くしたことがきっかけでうつ病になり、
 
 
PTSD、不眠症、不安障害を起こし会社を退職。
 
 
しかしわずか4ヶ月間の療養で、仕事へ復帰することができました
 
 
4ヶ月で仕事が出来るようになるまでにやったことを紹介します。
 

2週間かけて精神が追い詰められ、緊張が途切れた途端にうつの症状が

事故で亡くなったのは仲のいいバンドのメンバー。
 
ライブの遠征にも何度もついて行かせてもらったし、毎年みんなで誰かの家に集まって忘年会を開いてた。
 
仲間っていうくらい大切な友人でした。
 
 
私の誕生日から日付が変わってその友人の誕生日となったわずか数時間後。
 
バイク事故に遭い、2週間弱の治療の末、目を覚ますことなく亡くなりました。
 
 
脳死状態で限界が来るまでの延命処置を家族の方が望んだのだと
 
唯一ICUに入っている友人の元へ会いに行けていた彼女から聞く話を元に推測するしかなく
 
亡くなるまでの2週間弱の間、私はただひたすら無力感に打ちひしがれて過ごしました。
 
 
亡くなってからも通夜と葬儀に向けて連絡出来る限りの友人に連絡を回したりと2日間寝ず、とにかく必死に動いていました。
 
 
そしてお葬式が終わって帰ってきてから倒れ込むように眠ったことを最後に、
 
・布団に入ってもなかなか寝付けない(入眠障害)
 
・途中で何度も起きる(中途覚醒)
 
・寝付けなかったら限界がくるまで3日ほど起きてしまう
 
という不眠の症状に悩まされるように。
 
 
起きている間は常に憂鬱
 
「私があのときこうしていれば」
 
「私がこう言っていれば」
 
「こうすることが出来たんじゃないだろうか」
 
自責の念で頭がいっぱいでした。
 
 
他にもバイクを見るとどうしようもなく動悸がして冷や汗が止まらなくなってしまい、外出が苦手に。
 
 
これまでにも地元で心療内科に通っていたことはあったのですが、医師と合わないと感じて途中で止めてしまっていました。
 
というか、心療内科だけでなく病院自体が大嫌いだったのですが…
 
 
11歳から境界性パーソナリティ障害の症状に悩まされてきたけど、眠れなくなってしまったことは無かったし、こんな強い不安はなかった。
 
もう辛い…心療内科にかかりたい…
 
 
そう感じて自分に合いそうな心療内科を調べ、1週間の予約待ちを経て不安と不眠症の投薬治療を始めました。
 
 

ほぼ毎日自炊しまくった

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朝ごはんを作るのが好きだった
料理が元々好きだったので毎日最低1食は自炊してました
 
時間は山程あったから、思うがままに時間を気にせず好きなものを作ってたな。
 
 

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インスタ用に文字入れもしてた

インスタで有名な料理インスタグラマーの方の投稿を真似て、自分が作った料理写真をインスタへUPするのも楽しみでした。

 
※こういうのを一人で作って一人で食べてました。(笑)
 
 
家事がストレス発散
 
と感じていたので料理をしていると他のことは一切考えないし、なんだかスッキリするしと、憂鬱な気分から抜け出すにはとてもよかったです。
(今思えば1つのことに集中するのはマインドフルネスの効果があるので納得。)
 
 

友人からの誘いは断らず、出かけようかな?と思った時はすぐ出かけた

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音楽フェスのために福島県まで行ったとき


友人から食事やイベントに誘われたら近所はもちろんすぐ行ったし、当時は大阪在住でしたが東京でも出来る限り行っていました。

 
毎年楽しみにしていた友人が開催している音楽フェスに行くために福島県にも行きました。
 

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飲み会も参加してた

 

地方から大阪に遊びに来た友人をよく泊めていたのですが、変わらず招いてたし、BBQだってしたし、淡路島へ日帰り旅行にも行った。
 
行きたいライブもたくさん行った。

 

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亡くなった友人の所属してたバンドメンバーと淡路島に日帰り旅行



普段は気持ちが落ち込んで外出するのが億劫に感じてしまっていたので「行きたい」「行きたいかも」といった自分の気持ちを極力大切にしたかった。
 
楽しいことは出来るんだったら元気じゃん
 
とか、否定するようなネットの意見は一ミリも気にしないようにしてました。
 
だってせっかく「外に出たい」「動きたい」って気持ちが出来たのにそれを
 
「うつだから大人しくしてないと」
 
なんて押し殺したら絶対楽しい気持ちなんて思い出せないし、元気になれないでしょ。
 
 
実際、外に出かけて遊んでるときって常に楽しいなんて感じていられない。
 
ちょっとでも素になると不安に飲まれて笑顔が消えてしまってました。
 
でも少ししたらまた「楽しい」が湧いてくる。
 
まるで心が楽しいを感じるためのリハビリのような感覚でした。
 
うつは心の骨折と言われます。
 
骨折したらリハビリってよく聞きますよね。
 
うつになっても骨折と同じようにリハビリが必要でした。
 
 

思いついた時にお気に入りのピストバイクに乗って出かけてみた

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チャリで公園までいって、ベンチに座って好きなパンを食べるのが癒やしだった



私は一人暮らしを始めたときに、シティガールになるんだ!と意気込んで憧れだったピストバイクを買って毎日乗っていました。
 
軽い車体でペダルを踏んで、ぐんぐん風を切って進む感覚が超きもちいい。
 
 
うつになったことで、出かけるためには何時間も前から用意しないといけないくらい出かけることに対するハードルは高くなってしまっていました。
 
それでも「チャリ乗ってカメラ持ってでかけようかな」ってなんとなく思った時は「でもな」とか考え始めるよりも先に用意を始めてチャリで出かけていました。
 
 
といってもそんな遠くには行かず、隣町の公園とかの距離です。
 
美味しいパン屋さんでパンを買って、公園のベンチで食べて、写真撮って。
 
すごく心が安らぐ時間でした。
 
公園ってゆっくりとした時間が流れていて、そのせいかぼんやり出来るんですよね。
 
パン齧って、走る子供をぼんやり眺めてる時間は難しいことを考えないで済むし好きだった。
 
 

とにかく好きなことをし続けたら「仕事しよう」と思えた

仕事に復帰したのは、仕事しないとお金がないという理由ではありませんでした。
(幸い4ヶ月では生活に困ることにならなかった)
 
純粋に「仕事しよう」と思い立って、求人を探し始めて新しい職場で働き始めました。
 
 
仕事の存在を忘れて、世間の目も忘れて、心の声に従って休むときは休んで、楽しいことを我慢したりせずに過ごしたことで
 
「これなら働き始めることができるんじゃないか?」
 
と前向きに考えられるようになりました。
 
 
楽しいことを感じることなく過ごしてたら前向きになることなんて絶対無理だった。
 
その後もたくさんの壁を乗り越えた経験からそう断言出来ます。
 
 
休職中だから、療養中だから…って、楽しいことしちゃ駄目だと感じるのは大間違い
 
しっかり休んで、心が楽しいを感じられるようになるリハビリをしないとうつは良くなりません。
 
 
熱が出たら熱が下がるように解熱剤を飲んで安静にして治療するのと同じように
 
気持ちを上げられなくなったら気持ちを上げられるように楽しい気持ちを思い出す治療しないと。
 
風邪が治るように、うつ病も治るんですから。