最凶メンヘラを卒業したポジティブレゲエバイブス女子えりりーのプロフィール
はじめまして。
「salon de emo.」執筆者のポジティブレゲエバイブス女子ことえりりーです。
11歳から境界性パーソナリティ障害に悩みながらそこそこに波乱万丈の人生を送り、25歳にしてついに寛解(※境界性パーソナリティ障害を克服した意味)に辿り着くまで、そしてそれからのポジティブでレゲエなバイブス溢れるライフハック術を執筆していきます。
詳細プロフィール
1992年5月16日生まれの26歳(2018年7月時点)
OLしながらの兼業ブロガー。
フリーランスでカメラマンもやってます。
お花、香水、読書、音楽、家事が好き。
美しいものが大好き。
抱えている病気
- ADHD
- ギフテッド(自閉症スペクトラム障害)
- PTSD(心的外傷後ストレス障害)
- 男性恐怖症
- リーキーガット症候群
- 副腎疲労症候群
- 光線過敏症(紫外線アレルギー)
克服した病気
- 境界性パーソナリティ障害
- パニック障害
- 睡眠障害
不幸を呼びに呼んできたえりりーの生い立ち
空気を読むことをを徹底した結果「秀才」と呼ばれた幼少期
両親の喧嘩が絶えない家庭に生まれ、空気を読み、家庭のクッション材となる役割を自ら率先して育ちました。
「好奇心旺盛」「頑固」「負けず嫌い」という生まれ持った性格もあり、小学校低学年の時点で文武両道、何をしても学年で1番になるように。テスト結果も通知表も返ってきたらすぐクラスに回される日々。
今考えるとこの頃はギフテッドの影が色濃くあったと思います。
境界性パーソナリティ障害を発症し不登校不良女子として過ごした10代後半
11歳のある日、母親のある言葉により境界性パーソナリティ障害の症状としてリストカットが初めて現れる。
その頃学校では、成績がいいことを逆恨みした男の子からのいじめが始まります。
気の強さと妙なところで鈍感だったこともあり、いじめが苦痛と気づかないまま体調を崩しがちになり不登校がちに。
2/3も行けてたらいい方じゃないかという状態で中学2年生となるものの、小さいライブハウスへ通うようになり、コロコロコロ〜と不良女子へ見る見る間に転落。
定時制高校で行きたいところを見つけるも「定時制なんて馬鹿が行くところ」と思い込んだ母親にパンフレットを見ずに突き返され、適当に受験し数ヶ月で中退。
その後2度高校入学と中退を繰り返し、合計3度の高校中退歴がつきました。
前向きに頑張ろうとすると必ず災難が降りかかる20代
20歳から鬼のブラック企業で働き出し、めちゃくちゃ稼ぐ。家には寝に帰るだけの生活を送るものの、母親との仲は最悪。21歳でついに実家を出て一人暮らし開始。
悠々自適に一人暮らしを謳歌し初めて約半年、自分の22歳の誕生日の翌日が誕生日である親しい友人が私の誕生日から日付が変わってすぐ事故に遭い亡くなる。それをきっかけについに不眠症と不安障害を発症、心療内科への通院生活へ。
それから会社を辞め3ヶ月のニートを経て転職。しかし初日にサイコパスの先輩に捕まり付き合わざるを得ない状況に追い込まれ交際スタート、ボロボロになる。
そこから救ってくれた男性と交際1年半とすこしでプロポーズを受けるも、わずか4日後に婚約者のストーカーになっていた女性から突撃を受け無事メンタルが死亡。
最凶のメンヘラと進化し、納得しないまま結婚するも1年もたず離婚。
離婚となるまでに2度、精神科病棟への入院を経験。
離婚と同時に両親と絶縁し、身寄りが無くなる。
26歳目前にして第二の人生スタートを切る
14年間戦っていた境界性パーソナリティ障害を封印成功
離婚することになる過程で境界性パーソナリティ障害の寛解への緒を掴み、カウンセリングを頼りながらも、ほぼ自力のメンタルトレーニングで寛解へ持ち込むことに成功し、ポジティブレゲエバイブスも会得。
心療内科で処方されていた薬すべてを絶ち、一番厄介であった極度の不眠症も克服しました。
そして今、東京でお花に携わる事業を始めるべく勉強中。